こんにちは ご訪問ありがとうございます。
今回は、若いときに行った北海道単独ドライブの想い出を記事にしてみました。
私がまだ二十歳になったばかりの9月、北海道単独ドライブを計画。
高校を卒業して務めた会社は入社から1年半の間、一度も有給休暇を取らなかったことが幸い。
職場の上司に申し出ところ1週間の休暇はすんなりと受け入れてもらった。
『一週間でいいのか?』と言われ嬉しくなった記憶がある。
毎月コツコツと貯めたお金を頭金にして当時憧れていた車、ホンダ1300クーペ9を中古車で購入した。
この車は空冷1300cc DDAC方式(デュオダイナエアークーリングシステム)
最高出力110馬力で車重は僅か900Kgだった。
当時ではマツダファミリアロータリークーペ等と肩を並べるスポーティーカーであった。
念願の車を手に入れて計画していた北海道へいざ出発だ……
目次
1日目・予備タンクを積んで出発
この車に予備のガソリンタンク20Lを積んで夜の8時に出発
途中長野市内で、検問に合い後部に積んであるタンクについていろいろと質問を受けることになっ た。
これから北海道まで行くという私の説明を聞いた警察官に『気を付けて行きなさい』と言われ無事に解放された。
長野を通過して糸魚川に出たころには空が薄っすらと明るくなっていた。
少し仮眠を取り再びハンドルを握る
秋田近くの日本海側道路を走っている時に、2人連れの男子高校生らしき若者がヒッチハイクをしていたので、乗せてあげることにした。
どこまで行くの?『青森までいきてー』 よし判った方向は同じなので一緒に行こう
そのまま青森まで突っ走る。仮眠は取ったものの殆ど眠っていない。
高校生達を青森駅で降ろして、青函連絡船の乗船手続きをとる。
連絡船に乗って暫くボーっとしていたら、いつの間にか青森を出港していた。
大きな船なので出港した事にも気付かないでいた。
驚くことに連絡船に乗っている客が殆ど居ない。
どの部屋でもいいから自由に使ってもいいよと言われ船の中をうろうろしていた。
疲れて眠っているうちに函館の港に着いた。
やったー北海道に着いたぞー
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2日目・北海道に上陸
北海道の道は広くて走りやすい。
横を走る列車と並び調子に乗って飛ばしていたら、目の前に警察官が!
アッ!と思って減速したが遅かった。
ここで暫くの間スピード違反でお叱りを受ける。
35キロオーバー、即免停の違反だ! (後から通知が来て講習を受ける事に)
検問の警察官が車に乗り込みハンドルを握って『交通ルールは守らないといけませんね』ごめんなさいと素直に謝ることでその場の処理を済ませる事が出来た。
半世紀近く昔のことなのでおおめに見てもらえたのかも知れない。
今ならこんな事では済まない。
やらかしてしまったが、めげずにドライブ続行、旭川の少し手前でどこかに泊まろうと車を停めて探す。
交番で訪ねてみたが、この返には無いから交番の二階で良ければ朝まで停まってもいいとの何とも優しい言葉に、すんなり甘えて泊めてもらう事にした。
考えてみれば、出発してから長野・札幌・旭川といつも警察官のお世話になっていた。
3日目 ・出会いと別れ
交番の二階ではぐっすり眠れて早朝に出発。住所氏名を書いて、お礼のメモを書置きして出発。
どれだけ走っただろう、層雲峡の手前にあるトンネル前で2人の女性が困った様子で立ち止まっていた。
どうかされたんですか?トンネルを歩いて通るのがこわくてどうしよ うか困っていたとのことでした。
では向こう側までどうぞと後部座席に乗ってもらった。
行き先を訪ねると、女満別の旅館に予約してるとの事で現地まで送ってあげることにした。
東京から来ているとのことで車内で楽しく話ながらのドライブになった。
女満別の旅館で私も宿泊、夕食は三人で食べることになった。
4日目 ・阿寒湖から摩周湖へ
明日の予定を聞くと、阿寒湖までとのことだった。
翌朝、旅館を出発、林道の中をガンガン走って目的の阿寒湖へ、彼女達を降ろして再び走り出す。
阿寒湖での宿泊先を教えて貰えたのが嬉しかった。
一週間休暇予定の私は日程も考えて魔周湖に回った、幻想の湖 まさに霧の摩周湖が目の前に現れた。
摩周湖では湖畔の店でペナントを購入(旅行の証拠)そして、私は一気に襟裳岬まで下った。夜の海岸道路は高波が来て本当に恐ろしかった。
遠くに明かり見えて何とか泊まれるところを見付けた。
阿寒湖で降ろした彼女達に旅館の電話を借りて、無事に襟裳岬に着いたことを報告した。
当時は携帯はおろか、公衆電話もあまり無かった時代だ、連絡するにも大変だった。
5日目・襟裳岬から函館へ
そして翌朝、再び函館までひた走る。後部座席には誰も居なくて何となく後ろ髪を引かれるような気持ちだった。
青函連絡船から青森へ戻り、4号線を下って花巻でジンギスカンを食べた様に思う。
それからは東京まで寄り道もせずに真っすぐ戻った。
6日目・一気に南下して東京~地元へ
東京から地元までの帰り道では、阿寒湖で降ろした彼女たちはどうしているか?
そんな心配をしながらの帰路であった。
あれから何十年の月日が流れただろうか?単独でドライブしていると、誰かと話しがしたくなるのは今も変わらない。
旭川手前の交番二階での宿泊(あの時は本当に助かりました)
秋田で乗せた高校生の男子2人組(気を付けて帰れやー)
層雲峡のトンネル手前で乗せた彼女たち(無事に東京に戻りましたか)
まとめ
全走行距離約3000㎞
高速道路の無い時代でのロングドライブ、反省すべき苦い経験もありましたが、人との触れあいを通じて得たものは一生の宝物。
まだ二十歳だった頃の楽しかった青春の思い出。
そんな思い出の北海道にもう一度行けるとすれば、今度は初夏に行ってみたい。
広大な草原やオホーツクの海岸線を眺めながら走ってみたい。